日中の私は、会社では管理職です。
朝礼では司会を務め、職場の規律や教養を読み上げる。部下から相談を受ければ話を聞き、トラブルが起きれば間に入り、できるだけ誰に対しても「正しい判断」をしようとする。
人事や総務に関わる仕事では、感情だけで動くことは許されません。
「会社としてどう判断するべきか」
「相手にどう伝えるべきか」
「この判断に問題はないか」
そんなことを一つひとつ考えながら、一日を終える。
そして家に帰れば、今度は3人の子どもの父親です。
会社でも家庭でも、ある程度は「しっかりした大人」でいることを求められる。
だからなのかもしれません。
夜、すべてが静かになったあと、私は現実とは正反対の世界に飛び込みたくなるのです。
私に必要なのは、お酒でも夜食でもありません。
「圧倒的な没入体験」です。
第11世代Core i7を搭載した専用PC。
自分だけのアカウント。
誰にも邪魔されない深夜の時間。
そこで求めているのは、難しい考察でも、作品について深く分析することでもありません。
ただ、
「えっ、次どうなるんだよ!?」
と、続きを再生せずにはいられなくなるような強烈な「引き」です。
1.考察はいらない。ただ、物語に振り回されたい
私は、作品の伏線を探したり、隠されたメッセージを考察したりするタイプではありません。
むしろ、そんなことを考える余裕すらなくなる作品が好きです。
次々と状況が変わり、予想していた展開が簡単に裏切られる。
「そこでそうなるのか!」
「次はどうなるんだ?」
そうやって物語に振り回されているうちに、気づけば深夜になっている。
そんな作品に出会うと最高です。
たとえば『コードギアス』。
初めて夢中になった頃は、先の展開が気になって仕方がありませんでした。
「あと1話だけ」
そう思って再生したはずなのに、気づけば時計は深夜3時。
翌朝のことを考えれば寝るべきなのに、それでも続きを見てしまう。
あの感覚がたまらない。
高スペックPCに映し出される映像に没入し、家族が寝ている2階から物音がしないか少しだけ気にしながら、それでも物語から目を離せなくなる。
日中の仕事では、常に「予測」「判断」「リスク管理」が求められます。
だからこそ夜くらいは、先の読めない世界に身を預けたい。
自分でコントロールするのではなく、物語にコントロールされる。
それが、私にとって最高のリフレッシュなのです。
2.恋愛の甘さより、剥き出しの「男の世界」に惹かれる
もちろん恋愛作品が嫌いなわけではありません。
ただ、最近の話題作を見ていても、甘酸っぱい恋愛が中心になると、どうしても途中で止めてしまうことがあります。
私が見たいのは、もっと泥臭い世界です。
人間のエゴがぶつかり、信念と信念が衝突し、最後まで生き残ろうとする。
そんな作品に強く惹かれます。
その象徴ともいえるのが、『ジョジョの奇妙な冒険 第7部 スティール・ボール・ラン』。
「ようこそ……男の世界へ」
という、あの強烈な美学。
理屈では説明しにくいのですが、こういう世界観に妙に惹かれます。
『呪術廻戦』や『進撃の巨人』にも同じような魅力を感じます。
登場人物それぞれが自分の信念を抱え、それが真正面からぶつかる。
誰もが正しいわけではない。
むしろ、正しさだけでは生き残れない。
そういう極限状態の人間ドラマを見ていると、日常とはまったく違う場所に連れていってもらえる感覚があります。
会社では、できるだけ円満に解決する。
家庭では、できるだけ穏やかに過ごす。
大人としては、それが正解なのでしょう。
でも、深夜の自分まで同じである必要はない。
だから私は、画面の中で思い切り叫び、戦い、ぶつかり合うキャラクターたちを眺めながら、自分の中に溜まった「熱」を少しずつ解放しているのかもしれません。
3.考察はしない。それでも、一つの言葉が心に残る
作品について細かく考察することはありません。
それでも、ときどき妙に頭から離れなくなるセリフがあります。
たった一言なのに、なぜか自分の中に残り続ける。
たとえば、
「オレたちだけの『気持ちのいい道』だ。」
という言葉。
仕事の合間にふと思い出すことがあります。
あるいは、「業者を呼ぶと高くつくから」と、普段は得意でもない水栓修理に一人で悪戦苦闘しているとき。
そんな何気ない瞬間に、作品の一場面やセリフが突然よみがえる。
不思議なものです。
それは単なる励ましの言葉ではありません。
「自分は自分のやり方でいい」
そんな感覚を思い出させてくれる、小さな楔のようなものなのかもしれません。
昼間は社会人として、管理職として、父親として振る舞う。
でも、夜には自分だけの世界に戻る。
刺激的なコンテンツで本能を解放し、熱量の高いアニメや漫画で精神に火をつける。
私にとって深夜の時間は、そんな「自分を取り戻すための儀式」なのかもしれません。
4.『推しの子』の衝撃と、『School Days』のような極限の人間ドラマ
私が物語に求めているのは、必ずしも予定調和のハッピーエンドではありません。
むしろ、
「え、ここからどうなるの?」
と思わせてくれる作品ほど、続きを見たくなります。
『推しの子』も、その意味で強烈でした。
華やかな芸能界の世界。
その裏側にある人間関係。
そして、そこに絡み合う復讐や嫉妬、秘密。
表面だけを見れば華やかな世界なのに、その奥には冷たい現実がある。
そうしたギャップに引き込まれます。
そして、ときには『School Days』のような、救いの少ない愛憎劇にも手を伸ばしてしまう。
「ここまでいくのか……」
と思いながらも、なぜか画面から目を離せない。
日々の仕事では、感情を抑えて冷静に判断しなければならない場面が少なくありません。
人事や総務の仕事をしていると、人間の感情に向き合う機会も多い。
だからこそ、フィクションの中では、人間の感情がむき出しになった極端な世界を見たくなる。
現実では絶対に経験したくないような感情や出来事を、安全な場所から眺める。
それもまた、私にとって一種の「デトックス」なのだと思います。
5.そして、また朝が来る
深夜。
ようやく一気見を終える。
「さすがにもう寝ないとまずいな」
そう思いながら、PCを閉じる。
Windowsのアカウントを切り替える。
そして、静かに眠る。
翌朝になれば、またいつもの一日が始まります。
朝礼の司会。
社員との会話。
判断しなければならない問題。
会社では管理職として振る舞い、家に帰れば父親として過ごす。
昨日までと何も変わらない日常です。
でも、少しだけ違う。
昨夜、物語の中で浴びた強烈な刺激が、まだ自分の中に残っている。
それが仕事への活力になることもあります。
「よし、今日もやるか」
そんな気持ちで一日を始められる。
考えてみれば、私にとって深夜の没入時間は、単なる娯楽ではないのかもしれません。
昼間に「ちゃんとした大人」でいるために、夜くらいは何も考えず、物語に振り回される。
それくらいの逃げ場があってもいい。
会社では理性的に。
家庭では誠実に。
そして、誰にも邪魔されない深夜だけは、自分の好きな物語に思い切り熱狂する。
そんな時間があるからこそ、また翌朝から「ちゃんとした自分」に戻っていける。
私にとっての深夜とは、
現実から逃げる時間ではなく、現実に戻るための時間なのです。

